大人だからこその楽しみ
音楽を自らの手で奏でるという理想、それを「自分での実現はもう遅い。我が子に身につけることで叶えよう」という発想がありますよね。
もちろんその夢を期待通りに応えてくれるお子様は存在するでしょう。
でもホントのことを言うと、そういう場合、ご自身で学ばれる方が良いのです。(と、前々から私は思っていました)
だって、「悔いゆえの憧れ」と「習わせられる受け身の状態」とでは、スタンスが違いすぎて、待望と結果が違ってしまうことが多いのは、まぁ想像に難くありません。
義務教育も同じようなもので、興味を抱いたり、後悔の念を持った後の学びの勢いは、義務や強制された学びに勝ると思いませんか? どんなに記憶力が低下しようと、探究心がある方が、より学ぶ資格がある気がしてなりません。着飾ってたくさんのブランド品を持つより、自分自身になるのが教養です。
「しかし言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」(ルカによる福音書12章27節)
時々このような言葉を思います。
書いているうちに真剣になり=お説教くさくなる=私の悪い癖(実際は世俗にまみれている一人)。さて持論から本題に戻します…(^^)。
というわけで、鍛錬を忘れぬ『大人のピアノ』の生徒さん達。
皆さん、選曲も思い思いのピアノ発表会、「グランジュテ」を、こどもの発表会の終了後、別の会場で開催しました。
今回の大人の方は20歳代後半から60歳代といったところ。こちらは同好会っぽいコミュニケーションもかかせず、演奏後、帰宅希望者以外で残れる方々との、お食事と団欒、youtubeをスクリーンに映し出して、名演奏からユーモラス動画まで色々楽しみました。
食事内容は、和食、ブレッド、チーズケーキ1ホールがそれぞれ紙箱入りで三段重ね、プラス、チーズにチョコにシリアルバーだの、結構な豪華版。ノンアルコール、紅茶飲み放題。(だがしかし、見事に写真を撮り逃し、気付いた時には、ずいぶん中身が消滅し、記録にならないので諦めました!)
大人のピアノ演奏は、確かに脳を活性化させるのに有効です。この話はいつか改めて書きます。(また少し心配な『いつかネタ』トピックが一つ増加…(-_-;)) ただ今日は次のことが言いたかっただけです。大人の演奏は完璧でなくていいのだと。
人前演奏のレベルまで四苦八苦しておいでの方に「お仕事が忙しいのできついですよね」とお話しすると、それでも「こういう会は毎年開催して欲しい。目標を持ち練習するきっかけになるから」と答えてくださいました。
あっぱれです。
学び続け、次なる志を持つのが良いと言ってくれる、それがクラヴィアハウスご自慢の大人のレッスン生たちです。
当日は22時にまで及ぶ会となりました。上はラストまで共に過ごせた参加者とのスナップ写真、それをちょっとアレンジしたものです。
(書いてある英文)
Music expresses that which cannot be said
and on which it is impossible to be silent.
(訳)
音楽は、人間が言葉で言えないことで、
しかも黙ってはいられない事柄を表現する
レ・ミゼラブルで知られている、Victor Hugo ヴィクトル・ユーゴー(フランスのロマン主義の詩人、小説家 / 1802~1885 あ、私と同じ誕生日(^^)!)の言葉。