エステ荘を訪ねる

 イギリスとイタリア、そしてほんの少しのフィンランドに滞在してきました。

ずいぶん久しぶりのヨーロッパでしたが、今回の大きな目的の一つが、ピアノの魔術師と呼ばれるフランツ・リストの名曲探訪、巡礼の年第三年に収められた「エステ荘の噴水」を実際に観に行くことでした。

 ここには『オルガンの噴水』 『ネットゥーノの噴水』 『ロメッタの噴水』 『楕円の噴水』 『百噴水』など、全部で500ほどの噴水があります。
 イタリアの美しい首都、ローマから車で一時間弱の東に位置する、ティヴォリ(Tivoli)という街にある、世界的な名庭です。

 ここは1560‐70年に建築されたと資料で知りました。その後、300年の時を経ること1877年、ここにフランツ・リストが訪れます。
 社交的で自信家、ピアニストで作曲家、万事順調の人生に見えたリストですが、50歳を超えた頃から、反転します。
 子供を次々に亡くし、理解者との別れ、ヴァイマルの宮廷楽長を辞任など、リストは絶望へと追い込まれました。
 そして1865年、53(54?)歳の時に、リストはローマにある礼拝堂での儀式を経て、聖職者となりました。
 それ以降、常に黒い僧衣を身にまとって、作られた音楽作品は、調性感が薄れ、「神」や「死」を意識した宗教色の強いものとなっています。その中の一つが、7曲からなるピアノ曲集「巡礼の年第3年」で、この中にエステ荘とタイトルに記されている曲が三曲存在し、 「エステ荘の糸杉に。哀歌」が二曲と、そして「エステ荘の噴水」 Les jeux d’eaux à la Villa d’Esteです。

 ホーエンローエ枢機卿によって、エステ荘に招かれたリストは、庭の多くの糸杉を見て、恋人のカロリーネ宛ての手紙にこのように綴っています。(1877年9月23日付) 「この3日というもの、私はずっと糸杉の木々の下で過ごした。それは一種の強迫観念であり、私は他に何も―教会についてすら―考えられなかった。これらの古木の幹は私につきまとい、私はその枝が歌い、泣くのが聞こえ、その変わらぬ葉が重くのしかかっていた !」と。

 「死と救済」が表現され、深い悲しみをたたえた『巡礼の年 第三年』の曲集の中、リストは1つだけ、希望の光を感じさせるような作品を組みこんでいます。それが「エステ荘の噴水」。この曲の半ばで、リスト自身がヨハネ福音書からの引用し書き添えているのは、「私が差し出した水は人の中で湧き出でる泉となり、永遠の生命となるであろう」という言葉でした。
 こうして噴水そのものを音に描写したメロディは、暗く辛い状況最中にでも生命力を見出だせる作品として、今日でも尚、多くの演奏家や聴衆に愛されています。

 そしてさらに時が経ち、リストが居た場を訪れ、私は同じ噴水の142年後を眺めながら、なおも新鮮な水のしぶきと決して古くはならない音楽を想いました。


(おもしろい表情の噴水ばかり集めてみました↑)

後記

 音楽がレコードからCDになり、そのCDさえ、コースター代わりになりかねない昨今、ダウンロードでの視聴が当たり前になりつつあります。カセットもMDもほぼなくなってしまいました。聴き方が次々に変化しています。

 同じように、今どきの流行りの曲は、すぐに遅れ感を感じ始めませんか?なのに、古く背表紙も痛み、譜面にシミが出ている、いかにも昔々の楽譜を広げては、いい曲だなぁと、いつでも新しく発見したような気になるクラシック音楽。作られたのはどんなに古くとも、水を得た魚のように新鮮に蘇り心を打つから不思議です。聴く手立ては変化しても、そこに活きているものを感じ取れる自分であり続けたいです。

 では最後に、リストの音楽に乗せて、エステ荘の噴水で実際に収めてきた記録をお届けしましょう。(噴水の音入りです♪)